9月13日放送の行列のできる法律相談所の特集は泣かない芸能人が集まってあの時本気で泣いたスペシャルがほうそうされていました。

そのなかでの舘ひろしさんの石原裕次郎に対して涙したエピソードに感動したので紹介します。

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舘ひろしさんの簡単プロフィール

舘ひろしさんは1975年クールスのボーカルとしてデビューしました。ドラマ西部警察の出演をきっかけに石原プロに入社。

さらに、34歳の時に泣かないでが大ヒット。そして大ヒットドラマあぶない刑事では主演しました。

舘ひろしさんが泣いたエピソード

若手時代舘ひろしさんはつっぱっていました。西部警察の撮影の時にこんなエピソードがあありました。

西部警察が始まった頃、椅子が用意してあったのは石原裕次郎さんと渡哲也さんのものだけだったのですが、舘さんは自分で用意した椅子を持ち込んだのです。

すると石原裕次郎さんが現場に入ってきた時に「この椅子は誰のだ」と聞いたのです。

舘さんは「僕のです」と言うと、その言葉に現場は凍りつきます。

周りのスタッフは「舘さんは腰が悪くて」など気を使ったそうですが、舘さんは「大丈夫ですよ。何の問題がありません」とさらに現場を凍りつかせる一言を放ったそうです。

そうすると石原裕次郎さんは「舘くん、10年早いな」と笑って言ったそうです。

その言葉に舘さんは「そういう時代ではないです」と強く言い返したそうです。

普通クラスの芸能人ならここで激怒するところなのかもしれませんが、そこはスーパースターの石原裕次郎さんです。

「そうか時代が違うか」と笑いながら去っていったそうです。すごい器のでかい人だなと思います。

舘ひろしさんが尊敬していたのは渡哲也さんだったので、石原裕次郎さんに憧れていたわけではなかったのです。

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舘ひろしさんが石原プロに入社してから3年後、石原裕次郎さんと2人でバーに飲みに行く機会があったそうです。

その時に舘ひろしさんは石原裕次郎さんに「僕は渡さんの背中をまっすぐ見ていますから、社長の背中は見えません」

とついて行きたいのは渡哲也さんだということを告げたのです。

すると石原裕次郎さんは優しく受け入れてくれたそうです。

そして、もしまた映画を作れたら1本目は石原裕次郎さんの映画、2本目は渡哲也さんの映画、そして3本目は舘ひろしさんで映画を撮ろうと言ってくれたそうです。

このころ日本映画は人気が落ちていたそうですが、映画製作は石原裕次郎さんの夢だったのです。

「舘さんは生意気な自分をこんなに特別に思ってくれていたなんて」と感激だったそうです。

その2年後の1987年52歳の時に石原裕次郎さんは亡くなってしまうのです。

そしてその年の12月に舘ひろしさんが主演の劇場版のあぶない刑事が公開されたのです。

初日から満員御礼の大ヒット。

そのヒットの報告にパンフレットと映画のチケットを持って石原裕次郎さんの自宅へ。

「社長の夢だった映画を作ることができました。お客さんいっぱいでした」と報告した時に涙が止まらなかったのです。

舘さんは石原裕次郎さんのことを『本当の映画スター』と話します。

すごいのはその当時どこに言ってもお金を持ったことがなかったことです。買い物しても何を食べても石原裕次郎とかくと日活に請求がいったそうです。それだけ有名だったということです。

スーパースターは何をするにしても豪快ですね。時代が違うのかも知れませんがなかなかできることではないです。若い人から言われても笑って受け流せる大きな器に憧れました。

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