9月23日放送のやりすぎ都市伝説でオリエンタルラジオ中田さんがウソかホントかわからなやり過ぎな都市伝説です。

みなさんはこんなことを考えたことはありませんか?実際日本を代表するのは総理大臣ですが、総理大臣の裏にもっと大きな実力者がいるかもしれない。

日本を操っている黒幕がいる…。

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日本を操っている黒幕は誰

吉田茂・岸信介・佐藤栄作などの総理大臣の裏にその実権を握っていたとされる一人の人物がいるのです。

その人物とは「安岡正篤

古代中国の学問に精通している天才と言われた頭のキレる人物だったのです。子供のときは神童と呼ばれ、第一高等学校という今では東大にあたる学校へ主席で入学。

卒業後文部省に入り、官僚になって国を動かそうとするものの半年で辞め、金鶏学院という塾を開いて日本の指導者を育成することを生業としたのです。

佐藤栄作元総理と安岡正篤との関係

佐藤栄作元総理といえば沖縄返還を実現し後にノーベル平和賞を受賞した事で有名ですよね。

そんな沖縄返還を実現するためにはアメリカとの交渉が必要だったのです。

相手となるアメリカンの大統領はジョン・F・ケネディだったのですが、敗戦国の日本が相手という事で会談時間は10分程度しか持ってもらえなかったのです。

そこで安岡正篤が送った言葉はこの言葉

「戦いに勝ちては喪礼を以って之に処る」

戦勝国は敗戦国に対して侮るのではなく喪に服するように敬意をもって接しなさいという中国の古い教えなのですが、安岡正篤はこの言葉をケネディ大統領に伝えることで、必ず興味を示すと佐藤栄作総理に伝えました。

ケネディ大統領との会談の時に佐藤栄作総理は安岡の言葉をそのまま伝えました、するとケネディはそんな言葉を知っているのかと佐藤栄作総理を一目置いて見るようになったのです。

その結果話しを深く堀下がり、盛りに盛り上がり、10分だった会談時間がなんと3時間を超えていたのです。

これをきっかけに友好関係を築くことができた佐藤栄作総理が後に沖縄返還を実現させノーベル平和賞を手にしたのです。

この受賞の功績はきっかけを作った安岡正篤のものと言っても過言ではありません。しかし、安岡正篤の名前、みなさんはほとんど耳にした事がないですよね。

ここで不思議に思うのが私達がなぜ安岡正篤の名前を知らないのかということですよね。

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安岡正篤の名前を知らない理由

その秘密も安岡正篤が握っているのです。安岡正篤は古代中国の教えを噛み砕いてこんな言葉を残しているのです。

『有名無力 無名有力』

これは有名になればなるほど注目されしがらみができて力を発揮しにくくなります。しかし陰から支えれば力を発揮し続けることが出来るということなのです。

ですから安岡正篤は表に出ないように行動していたため私達のほとんどがその名前を知らない事は当たり前なのです。

ここで気になるのがいつから陰にいたのかという話です。

安岡正篤はいつからいた

戦前・戦中も安岡正篤は頭角を表していて、戦時中の多くの政治家もかなり影響を受けたとされています。

そして、天皇陛下が終戦を知らせた玉音放送。この原稿の作成にも安岡正篤は関わっていたのです。

この当時GHQは安岡正篤は戦犯にしたかったので追い込んだそうです。

しかし、この当時には中国の蒋介石と交流があったこともあり、蒋介石はアメリカに「彼ほどの素晴らしい人物を戦犯にしてはいけない」と説得をして、安岡正篤が救われたのです。

今でも安岡正篤の影響がある

安岡正篤は亡くなったあとも日本に影響を与え続けているのです。安岡正篤が最後に提案したのが「平成」という元号なのです。

これは日本の未来は常々平和であり続けて欲しいという安岡正篤が願いを込めた年号なのです。

我々は今も安岡正篤が影響を与えた元号の下で生活しているのです。

今現在でも安岡正篤の後継者は我々の知らないところで日本を動かしているでしょう。

 

普通の人の抽象度では見えないことはたくあんあります。実際に陰で日本を操っている人はいてもおかしくないでしょう。

この世の中本当の事を知ることはなかなかできないでしょうから。

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